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常に自分の成長を考えて生きることが大事

苦しみや困難に出会うのには理由がある

人間は苦しいことや辛いことに出会うと「なぜ自分だけ、こんなに苦しまなければならないのか」「自分はなぜ不幸な星の下に生まれてきたのか」と世間を恨んだりします。

 

さらに「この世の中は不公平だ」「ずる賢い人間が得をする世の中だ」「正直者がバカを見る」などいろいろ考えて嘆(なげ)く人も多いと思います。

 

しかし、このような思考で物事をとらえてしまうのは、ある意味しかたのないことだと言えます。なぜなら現在の人びとは、なぜ苦しみや辛いことや困難が人生で起きるのかということを、正しく教えられていないからです。

 

自分自身が苦しいことや辛いことに直面して、世の中を恨んだり他人を恨んだりすることは、この世の中の表面的なことだけを見て判断しているに過ぎないのです。

 

実際にその奥にある“原因と結果の法則”や“因果律”を正しく理解していないため、この世で迷子にならざるを得ないのです。

 

この世に偶然というものは存在しません。

 

「たまたま苦しいことが起きた」とか「偶然、辛い出来事に出会った」ということはありえないのです。それはただ原因を正しく理解していないだけに過ぎません。

 

ここで「この世に偶然というものは存在しない」について語ると話が長くなってしまいますので、詳しくは人生案内サイトの第一章をお読みいただきたいと思います。

 

ここで知っていただきたいのは、人生で出会う苦しみや困難には、すべて理由があるということです。

 

さまざまな出来事はすべて個人の成長に関係している

この世で起きるすべての出来事には、ちゃんとした理由があり意味があるのです。それは一人ひとりによって理由は異なり、個人の成長度合いによって変わってきます。

 

人生で出会う苦しみや困難には、それぞれ個人的な理由があるのですが、なぜそのような苦しみや困難が起きるのか大きな視点から見ると、それは人間が成長するために用意されているということです。

 

ここで言う人間の成長とは何かといいますと、わかりやすく言うと「精神的な成長」「人間性の成長」「人格的な成長」ということです。

 

例をあげると「泥棒」と「まじめに働く人」とでは、どちらが精神的に高いでしょうか?どちらの人間性が高いでしょうか?どちらが人格的に高いでしょうか?

 

答えはもちろん「まじめに働く人」です。(ここで疑問に思う方は、人生案内サイトの第三章をお読みください)

 

「泥棒」と「まじめに働く人」はどこが違うのかというと、「泥棒」は正しい知識を持っていないということです。つまり、何が善で何が悪かということを正しく理解していないのです。

 

ですから「泥棒」には「善と悪」を理解させるために、あらゆる苦しみや困難を体験して成長する必要があるのです。

 

ここではひとつの例として「泥棒」をあげましたが、これはどんな人間にも言えることで、人それぞれ体験する苦しみや困難はさまざまです。

 

しかしここで大事なことは、「人生で起きる苦しみや困難は、すべて自分の成長のためにある」ということを理解して対処できるかということです。

 

ただ単に、苦しみや困難は「嫌なもの」「避けたいもの」「来てほしくないもの」と考えて対処するなら、そこに自らの成長はありえないのです。

 

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