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神と人間の関係

人間は神になれるのか?

「神は存在するのか?」でお話したように“神”は宇宙の存在物をすべて創造し、その創造物を人間が検証することで“神”の存在が証明されることが分かりました。

 

この宇宙や人間は偶然に発生して存在しているのではなく“神”という人間をはるかに超越した知的意識体によって計画され創造されました。

 

その“神”という存在が人間を創造したので、当然ながら人間は“神”の創造物であり、人間が“神”と同じ立場に立つことはできないのです。

 

わかりやすく言えば、人間がいくら努力して頑張っても“神”になることはできないということです。

 

地球上のある宗教の教祖や国家の権力者の中で、あたかも自分は“神”であるかのような振る舞いをしている人間が見受けられますが、人間が“神”になることは、あり得ないことなのです。

 

もし、自分のことを“神”であると名乗る者がいるとすれば、その人間はうぬぼれ者であり無知であり、愚かであり気の毒な人間であるといえます。

 

そして自分を“神”と置き換えて民衆を支配する、危険な人間と言えるでしょう。

 

“神”とは全知全能であり完全完璧であり絶対無限の存在ですが“神”の創造物である人間は不完全であり有限の存在です。

 

しかし、人間は不完全であり有限の存在であるがゆえに、完全を目指し進歩向上の道を歩くのです。

 

神と人間は親子の関係と同じである

神と人間の関係を例えて言うのなら、神と人間は親子の関係と言っていいでしょう。

 

子供が親を目標にして進歩向上していくのと同じで、不完全である人間は完全である“神”を目標にして、進歩向上の人生を歩んでいきます。

 

そして第一章でお話したとおり「人間が生まれてきた目的」は進歩向上の人生を歩むためです。その理由が“神”の完全性にできる限り近づくためなのです。

 

人間は不完全性を持って生きています。その不完全性の根本的な原因は無知によるものであり、無知を克服するために人間はあらゆる困難や失敗を通して進歩向上していきます。

 

親は子供が何度失敗しても見放すことがないのと同じように“神”も人間がいくら失敗しても決して見放すことはありません。

 

それは親が子供に対して愛情を持って接しているからであり“神”もまた人間に対して愛情を持って接しているのです。

 

ではなぜ“神”は人間が苦しんだり困難な状況に置かれた時、無条件に助けてくれないのでしょうか?

 

それも親が子供に対する考え方と同じで、人間が困難な状況にある時、簡単に助けてしまうと本人のためにならないからです。

 

人間は自分の力で困難を乗り越えた時、初めて成長し進歩向上するからです。

 

摂理(宇宙の法則)のひとつに「楽して価値あるものは得られない」というものがありますが、苦労と努力をすればするほど価値あるものを手にすることができます。

 

人間は“神”の子供であるがゆえに、越えられない試練はないのです。

 

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