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神は善なのか悪なのか?

神とはどのような存在なのか?

この世に“神”が存在していることを前提として“神”は果たして「善なる存在」なのでしょうか?それとも「悪なる存在」なのでしょうか?

 

まず「神は善か?悪か?」という問いに対して回答していく前に“神”という存在に対しての定義付けをしておかないといけません。

 

なぜかというと“神”という言葉に対して共通の認識をしておかないと、お互いに誤解を招くからです。

 

では“神”の定義とは何かといいますと…

 

このサイトでお話する“神”とは森羅万象(宇宙に存在するすべてのもの)を創造した存在であり、全知全能で完全完璧で絶対無限の存在です。

 

したがって一般的に認識されている「人々の願いごとを叶えてくれる神」や「白いヒゲを生やした人間的な神」や「八百万の神々」などの“神”ではありません。

 

“神”とは人間をはるかに超越した存在であり、人間の頭で理解するのは難しいことです。なぜなら“神”の本質は物質ではなく、人間の五感だけですべてを理解することはできないからです。

 

では“神”は“善”なのか、それとも“悪”なのか見ていくことにしましょう。

 

“神は善なる存在である”と仮定すると

“神”が善であるなら「なぜ戦争が起きるのか?」「なぜ犯罪がなくならないのか?」「なぜ自然災害が起きて多くの人が犠牲にならなければいけないのか?」という疑問が出てきます。

 

まず「なぜ戦争が起きるのか?」「なぜ犯罪がなくならないのか?」という疑問ですが、戦争や犯罪は人間が引き起こしたものであり、その原因を作ったのは“神”ではなく人間であるのは明らかです。

 

なぜなら、人間は宿命(自分の意志では避けることができない出来事)と自由意志(自分の考え)を持っており、戦争や犯罪を生み出すのは人間の自由意志によるものだからです。

 

そして、「なぜ自然災害が起きるのか?」については第五章でお話したとおり、人間が摂理に反した行為をしたことと、地球の進化によるものです。

 

そこで自然災害の発生自体は悪いことではありませんが、その災害の犠牲になることが人間にとっては悪とみなされます。

 

問題は、人間が自然災害の犠牲になるような行動を取るような思考をしたことです。

 

この思考の部分は“神”が指示したことではなく、人間が自らの自由意志によって原因を作ったのであり、すなわち“神”が意図的に悪を作ろうとした訳ではないのです。

 

わかりやすく言うと、自然災害というものは人間が存在する以前の大昔から発生しているものであり、その自然災害の中に自分の意志で入って、自ら不幸の原因を作っているのが人間なのです。

 

“神は悪なる存在である”と仮定すると

もし“神”が悪であるなら、この世のすべては悪に支配されているということになり、世界の隅々まで悪が行き渡り、善は存在すらできないことになります。

 

また、この宇宙を創造した存在の“神”が悪であるならば、悪に創造された人間も悪を根源としていることになり、善人という人間は存在しないことになります。

 

そしてすべての人間は一人の例外もなく悪の感情だけで生きており、あなたも私も悪を目標にして生きるていることになります。

 

しかし、なぜこの地上のほとんどの国では、悪を取り締まる警察が存在するのでしょう?

 

なぜ、悪を裁く法律や裁判所が存在するのでしょうか?そして刑罰を執行する刑務所が存在するのでしょうか?

 

なぜ、人間には良心というものが存在し、困ったり苦しんでいる人たちを助けたりするのでしょうか?

 

なぜ、大震災などの災害が起きた時、人々は助け合うのでしょうか?

 

それは“神”が善なる存在であることを証明しているからに他なりません。

 

もし“神”が悪なる存在であれば、善なる行為はすべて破壊されているでしょう。

 

このように“神”とは善を根源にしており、それは過去の歴史を見ても明らかなように、地球の歴史は無知(悪)の時代から進歩向上(善)の道を歩んでいます。

 

そして地球は、これから先の未来も、永遠に進歩向上(善)の道を歩き続けるのです。

 

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