神様がいるのなら、なぜ悪がなくならないのか?
神は奇跡を起こせない
あなたは「神は本当にいるのか?」
「もし神が本当にいるのなら、この世から悪や苦しみが、なぜなくならないのか?」
「神なんて、いないんじゃないのか?」
このように考えたことはないでしょうか?
さらに「もし“神”が存在して全知全能ならば、この世界を戦争や犯罪のない平和な世の中にすることは容易い(たやすい)はず」
「でも、平和な世界にならないのは“神”がいない証拠ではないか」
このように考えている人は多いと思います。
では、この疑問にお答えしましょう。
まず最初に断っておきますが、残念ながら上記のような疑問に登場する“神”の概念は「完全に間違っている」ということです。
どういうことかというと、多くの人が心に描いている“神”の概念は次のとおりです。
「神は人間の願いを叶えてくれる存在である」「神は人間を苦しみや悲しみから救ってくれる存在である」「神は奇跡を起こせる存在である」
しかし残念ながら真実の“神”はそのような人間にとって都合のいい存在ではありません。
冷静に考えて、もし本当にそのような人間にとって都合のいい“神”が存在すれば、人間は努力をすること無く堕落の道を歩むことになるでしょう。
真実の“神”はそのような人間を堕落させる存在ではなく、森羅万象(しんらばんしょう)と摂理を創造した全知全能で完全完璧で絶対無限の叡智ある存在なのです。
多くの人は「“神”が全知全能なら、この地球を一夜にして天国に変える奇跡を起こせるはず」と考えます。
しかし、もし“神”がそのような奇跡を起こせたとしたら、人間は自分自身の意志で考えることも行動することもできない、操り人形のような存在ということになります。
そして“神”が奇跡を起こすということは“神”が創った摂理(自然の法則)を自ら崩壊させるということであり、そのような調和を乱すことはできないのです。
この世に悪が存在するのは、人間に自由意志が存在するからである
今の世の中には、さまざまな犯罪などの悪が存在しますが、すでに“神”は今のような世の中になることは想定済みです。
ではなぜ“神”は人間が戦争や犯罪という悪なる行為を許しているのでしょうか?
その理由は“神”が人間に“自由意志”という思考を与えたからです。
もし人間に“自由意志”という思考が組み込まれていなければ、一体どうなるでしょう?
人間の思考に“自由意志”がなければ、人間は自分の意志で自由に物事を考えることができません。
また新しい発想や発見をすることができないので、人間の思考に自由や発展性がなく規制された状態であり、ロボットか操り人形のようになってしまいます。
もし人間が戦争などの悪い方向へ行こうとした時“神”が人間から悪い思考を消すことができたとしたら、人間は神の操り人形の存在でしかありません。
そのような“神”が、果たして全知全能と言えるでしょうか?
“神”が人間に“自由意志”を与えたところに、神の叡智があるのです。
“神”が人間を創造した目的は、人間に“自由意志”を持たせて進歩向上させることです。
人間に自由意志を与えず、神の思い通りに人間を操り、“神”の思い通りの世界を作ることは可能ですが、それでは世界が発展せず意味が無いのです。
人間が自分の意志で善悪を判断して進歩向上の歩みをするために“神”は人間に“自由意志”を与えました。
そして人間が生きる目的は、無知の段階から失敗や悪なる経験を通して、学習することで進歩向上の道を歩んでいくことです。
人間が無知の状態から進歩向上していくためには、失敗や悪なる経験を通して学習していく必要があるのです。