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神は人間に罰を与えるのか?

神は人間を懲らしめることはしない

この世で生きて、生活を営んでいる人は誰でも知っているとおり、人間社会で法律を犯した人は、裁判で裁かれ刑罰を受けなければなりません。

 

これと同じように“神”は人間に対して“罰”というものを与えるのでしょうか?

 

結論から言いますと「神は人間に対して罰というものは与えない」と言えます。

 

もう少しわかりやすく言うと「神は人間を懲らしめる意味での罰は与えない」ということです。

 

では“神”は悪いことをした人間を放置しておくのかというと、そうではなく“神”は摂理という自然法則を創り行使しています。

 

“神”は人間社会で言う“罰”を与えることはなく、悪という間違った方向へ行く人間を軌道修正するための導きである摂理を創り、すべての人間を摂理の影響下においています。

 

この摂理は人間を自然な方法で矯正させるもので、“神”の愛情とも言えるものです。

 

“神”は愛をもって人間を善なる方向へと導いているのです。

 

それは過去の歴史を見れば明らかなように、人類は少しずつではありますが進歩向上(善)の道を歩んでいます。

 

第三章の「善と悪について」でお話したとおり“悪の根源は無知である”ことがわかり、無知であるが故に悪なる行為を行ってしまうのです。

 

人間はもともと無知な存在であり、さまざまな経験や体験を通して進歩向上していくのです。人間は失敗や苦難を経験することで、善悪を学習して成長していきます。

 

逆に言えば、失敗や苦難を経験しないで進歩向上していく人は誰もいないし、困難な体験なしでは進歩向上できないということです。

 

これは「楽して価値あるものは得られない」という自然の法則により明確な事実として理解できます。

 

人間社会では法律によって“人間が人間を裁き罰を与える”ということをしますが、神は自らが創った“摂理”によって人間を進歩向上へと導いて行きます。

 

それは神が創った“摂理”という完全完璧に公平で平等なシステムなのです。そこには人間社会のような「えこひいき」や「差別」などの不公平を生む感情が入る余地は一切ありません。

 

“原因と結果の法則”により神はすべての人間に対して、完全完璧に公平かつ平等に接しているのです。

 

神とは摂理であり法則でもある

以前からお話しているように“神”とは宇宙や人間など森羅万象の創造主であり、人間をはるかに超越した全知全能の存在です。

 

創造主である“神”は“摂理”を創り、人間が摂理に適(かな)った生き方をすることで、進歩向上できるようになっています。

 

人間社会では悪なる行為をした人間は、人間の作った法律により裁かれますが、中には悪いことをしても逃れる人間がいることも事実です。

 

しかし、この地球に存在している限り、“神”の創った“摂理”から逃れることはできません。

 

摂理に反した人間は“神”の創った自然の法則により、確実に裁かれるのです。

 

そして摂理に反したことを身を持って体験させられ、人間に気づきを与え、自由意志によって軌道修正させられます。

 

摂理に反した行いを軌道修正すること無く、何度も同じ過ちを繰り返す人間は、何度も苦難の道を歩むことになります。

 

この世で起きる出来事はすべて意味があり、無意味な出来事はありません。

 

その出来事の中で摂理に反した行為の反作用が、苦しみとなって現れてきます。(原因と結果の法則による)

 

自分に起きた苦しみから「なぜ、そのような苦しみが起きたのか?」「何が摂理に反していたのか?」を考え学習することで進歩向上の道を歩むことができます。

 

「なぜ?」を考えず、ただ漠然と生きているだけでは成長することはできません。

 

そのような生き方をする人は、ムダな人生を歩んでいると言えるでしょう。

 

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