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有意義な人生とはどんな人生か?

価値があるかないかは誰が決めるのか?

もしもあなたの余命があと一年だとしたら、自分にとって納得のできる人生を歩んだと思いますか?

 

もしもあなたの余命があと一ヶ月だとしたら、自分の人生を一生懸命に歩んだと思いますか?

 

もしもあなたの余命があと一日だとしたら、思い残すことなく正しい人生を生き抜いたと思いますか?

 

上記の問に対して100パーセント「イエス」と答えられる人はほとんどいないと思いますが、もしもこの通りの人生を歩んだ人がいるならば、その人は有意義な人生を歩んだと言えるでしょう。

 

有意義とは何かというと「意義のあること、意味や価値があると考えられること」ということです。

 

つまり有意義な人生とは「意義のある人生、意味や価値のある人生」ということになります。

 

そして「価値ある人生」とは、自分にとって価値のある人生という意味ではなく、他人から見て「価値のある人生」という意味です。

 

なぜなら、価値というものは自分で判断するべきものではなく、他人が判断するべきものだからです。

 

たとえば、自分が描いた絵が10万円の価値があると思っていても、他人が見て3千円の価値しかないと思うこともあるわけです。

 

反対に、自分の描いた絵が10万円の価値があると思っていても、他人から見れば50万円の価値があると思われることもあるわけです。

 

ですから、いくら自分で価値を判断して値段をつけても、他人から見て値段が安いと思えば買いますし、値段が高いと思えば買わないのです。

 

つまり、価値というものは自分で判断するべきものではなく、他人の判断基準で決まるものなのです。

 

どうしたら有意義な人生を歩めるのか?

 

最初に有意義な人生とは「意義のある人生、意味や価値のある人生」と言いました。

 

そして「価値があるかないかは誰が決めるのか?」というと「価値を判断するのは自分ではなく、他人が判断するもの」とお話しました。

 

つまり有意義な人生を歩んだかどうかは自分で判断するべきものではなく、他人から見て「この人は有意義な人生を歩んだ」とか「この人は価値ある人生を歩んだ」と判断されるものなのです。

 

自分で自分のことを「あぁ、私は有意義な人生を歩んだなぁ」「私は価値ある人生を生き抜いたなぁ」というのはおかしいと思いませんか?

 

さんざん人に意地悪をしたり、迷惑をかけたりした人が「私は有意義な人生を生きている」と言っても、だれも納得してくれる人はいません。

 

人をいじめたり困らせたりしている人のことを「価値のある人」という人は誰もいないでしょう。いるとすれば、人をいじめたり困らせたりしている本人だけなのではないでしょうか。

 

ですから、自分が「有意義な人生を歩みたい」と考えるならば、他人から見て「この人は有意義な人生を歩んでいる」「この人は価値ある人生を歩んでいる」と判断されるような人生を歩まなくてはいけないということです。

 

そして、人から「この人は有意義な人生を歩んでいる」と判断されるためには「他人に対して高い価値を提供すること」が必要なのです。

 

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