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善と悪の判断に迷ったら

善と悪の意味とは

まず「善とはなにか」について考えてみましょう。

 

「善とは」道徳的に正しい行為、社会的に価値のある行為などです。

 

具体的に言いますと、電車やバスなどでお年寄りや体の不自由な人に席を譲ってあげる、地震などの災害で困っている人を助けてあげるなど、人の役に立つ行為です。

 

その他にも私たちが普段働いている仕事も、人の役に立っていれば善であると言えます。

 

では「悪とはなにか」について考えてみましょう。

 

「悪とは」道徳的に間違った行為、反社会的な行為、迷惑な行為などです。

 

具体的に言いますと、人のものを盗む泥棒、人をだまして金品等を取る詐欺(さぎ)行為、人の心身を傷つける暴力行為など、人に対して迷惑な行為をすることです。

 

また、働けるにもかかわらず仕事をしないで怠惰(たいだ)な生活を送ることも悪と言えるでしょう。

 

つまり、「善」とは人を助けることや人が喜ぶことなど、人の役に立つ価値ある行為ということになります。

 

反対に「悪」とは、人を困らせたり苦しめたり悲しませるなど、人に対して不利益な行為をすることになります。

 

なぜ悪いことをする人がいるのか

善と悪を判断するとき、ほとんどの人は自分の都合を優先して判断しています。

 

人が「何が善で何が悪なのか」を決める時は、自分が良いことと思えば善、悪いことと思えば悪として決めてしまいます。つまり、他人よりも自分が良ければ善なのです。

 

今まで生きてきた人生の中で経験したことや、教えられた知識を判断材料にして、自分が良いことだと思えば「善である」、自分が悪いことだと思えば「悪である」と決めてきたのです。

 

そうするとどうなるかというと、人それぞれ育ってきた環境が違うので、人によって「善と悪」というものの判断基準が違ってきます。

 

これはある程度しかたのないことだと考えられますが、判断基準が大きく違ってくると社会に適合できなくなる人が出てきます。

 

その判断基準が大きく違っている人たちが、法律を犯して犯罪者になっていきます。

 

犯罪を犯す人たちは自分が悪いことをしたとは思っていません。周りの大多数の人から見れば明らかに悪なのに、本人には悪と理解できないのです。

 

もし自分が悪いことをしていると理解できたのならば、犯罪は犯していないでしょう。彼らは自分は正しいことをしていると自分自身で正当化しているのです。

 

悪いことをする人たちは子供の頃から間違った価値基準で教育されたため、正しい「善悪の判断」が出来ないのです。

 

正しい善悪の判断方法

 

では、あなたがこれから行う行為や、すでに行った行為が「善い行いか」「悪い行いか」をどうやって判断したらいいのでしょうか。

 

「善と悪」の判断基準は「相手に対して行った行為を自分の立場に置き換えて考えてみること」です。つまり、自分と相手を入れ替えて考えてみることです。

 

たとえば、あなたが学校や会社から家に帰る時、にわか雨が降ってきました。あいにく友人は傘を持ってなかったのですが、2本持っていたあなたは友達に1本貸してあげました。

 

この時、あなたが友人の立場なら、どう思うでしょうか?
きっとあなたは友人に「ありがとう」とお礼を言って感謝するでしょう。

 

このように、あなたがしてほしい事を他人にすることが「善」なのです。
反対に、あなたがされたら嫌なことを他人にすることは「悪」なのです。

 

自分を相手の立場に置き換えて考えてみることで、正しい「善と悪」の判断ができます。

 

あなたの行為が「善か悪か」迷った時に、この方法で判断すれば誤ることはありません。

 

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