人は正しい善悪の判断基準を知らない
善い(良い)人間とは
私たちは子供の頃から親や学校の先生から「善い(良い)人間になりましょう」と教えられてきました。ところで「善い人間」とはどのような人間なのでしょうか?
「善い人間」とは善い行いをする人のことです。では「善い行い」とは具体的にどのようなことなのでしょうか?はたして「善い行い」を識別できる判断基準はあるのでしょうか?もしあるとしたら、どんな判断基準なのでしょうか?
「善の判断基準」があるとすれば「悪の判断基準」もないといけません。なぜなら「善と悪」は相反するものであり、「善悪どちらでもない」ということになれば混乱してしまうからです。善悪の判断ができないと何もできなくなってしまいます。
この「善と悪の判断基準」は本来であれば、親や学校が子供に教えなければならないものです。しかし残念ながら「善と悪」の正しい判断基準は、家でも学校でも教えてもらうことがありません。
なぜかといいますと、教える立場の人間にも「善と悪」の正しい判断基準を知らないからです。
ほとんどの人が自分の都合の良いように「善と悪」を判断しています。そのことが結果的に混乱と対立を生み出しているのです。
この判断基準に従えば誤ることはありません
では、何を基準にして「善と悪」を判断すればいいのか、正しい「善悪の判断基準」とはどういうことなのかをお話しましょう。
@善の判断基準とは、
自分にして欲しいことを人にしてあげること。(利他的、自己犠牲的な動機)
A悪の判断基準とは、
自分がされたら嫌なことを人にすること。(利己的、自己中心的な動機)
たったこれだけです。
この判断基準は普遍的であり、いつの時代でも適用できるものです。
しかし、この判断基準を手に入れても、残念ながらほとんどの人が「善の判断基準」を実践することができないのです。
なぜかというと、大半の人が今までの人生を利己的、自己中心的に生きてきたので、固定観念から抜け出せないのです。
今の社会では人が何かの選択をする時、ほとんどの人が利己的な思考で自己中心的な行動をとります。
わかりやすく言うと、自分が得をする選択肢を選ぶ習慣が身についているのです。極端にいうと「自分さえ良ければ人はどうなってもいい」という思考です。
このような利己的で自己中心的な考え方は間違っています。なぜかというと、そのような考え方は自然の法則(摂理)に反しているからです。
このようなことを言うと必ず「何をバカな事を言ってるんだ。自分が損をしてもいいのか」という人がいます。そのような人は因果律(原因と結果の法則)を理解できていない、哀れな人といえます。
どうしたら善い(良い)人間になれるか
ほとんどの人は、今までの人生を利己的な考え方で生きて来たため、たとえ「善悪の判断基準」を手に入れたとしても、簡単には行動に移せません。
なぜかというと、人間の価値観は簡単には変わらないからです。
人の性格が簡単に変わらないのと同じで、人間の価値観を変えるのはかなりの時間がかかります。そもそも自分の価値観を変える努力をしないと、いつまでたっても変わりませんが…。
まず「善悪の判断基準」が本当に正しいのか理解するには、身を持って体験する方法があります。しかし「悪の判断基準」を検証するのは、おすすめしません。
あなたが「善いこと」「悪いこと」を行うと必ず因果律(原因と結果の法則)により相応の結果が返ってきますので、実際に体験することで納得することができます。
何度もくりかえし体験することで、しだいに確信を持てるようになってきます。そうなれば習慣となって価値観もだんだん変わってくるでしょう。
そして悪い行いをせず善い行いだけするようになれば、原因と結果の法則によって苦しみや悲しみから開放される時が来るでしょう。